昔話
2022年06月28日
同窓会総会
母校の同窓会総会に参加してきた。
創立100周年のプレイベントということで、食堂のメニューを無料でいただけたり、体育館で開催される記念イベントを観ることができるということだった。
同級生のみんなと駅前で待ち合わせをし、ぶらぶらとゆるやかな坂道を歩く。
あの頃とは風景が全く変わってしまっている。
「坂下の店はこの辺やったっけ?」
「いや、違うで〜!あっちやで〜!」
楽しく会話しながら上り坂を登り切った。
まずは受付で名札と食券をもらう。
その後、昔応援団の練習をした(?)食堂の屋根の上を見学。
食事の前の総会は参加しなくてもいいと言われていたが、真面目なY子と私は参加することにした。
私たちを招待してくれたH副会長は前の役員席にど〜んと座っている。
司会を務めている女性・・・
どこかで見たことがあるなぁと思っていたら、同級生のあんP君のお姉さんだった。
総会が滞りなく終わると、お食事タイムになった。
私は話題のマウチャメ丼!
(めちゃうまの反対からつけられた名前らしい)
から揚げがごはんの上にたっぷりのっかっていてこれで350円は安い!
食事が済むと体育館に移動。
体育館は巨大な冷風扇が稼働していたが、少し蒸し暑かった。
最初は卒業生で世界を股にかけて走るアドベンチャーランナー北田さんの講演・・・
スクリーンに映し出される辛くて苦しい場面を観ながら、大阪マラソンの辛かった道中を思い出してしまった。
お次はダンス部の元気いっぱいのパフォーマンス・・・
さすが数ある賞を手にしているだけのことはある。
みんなの笑顔がはじけている。
大阪では常に金賞を取り続けているという吹奏楽部のメチャウマな演奏!
海が通学していた頃から指導してくださっている指揮者の先生がいいんやろうなぁ・・
吹奏楽定番の曲、宝島はノリノリでかっこよかった♪
美術部のメンバーが鉛筆と木炭だけで何か月もかけて描いた校舎の絵・・・
うますぎる!!
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
帰りは行きとは違う車の通る道を歩き、ちょっぴりしかない商店街を抜けて駅まで戻ってきた。
食堂のおじちゃんは私たちの頃からいるおじちゃんなのか?
それともおんなじ顔の息子さんなのか?
なんてことを考えながら、
「みんな、卒業しても遠慮せんと、いつでも食堂のごはんを食べにきてくれてええんやで〜」
と言ってくれたおじちゃんの優しい言葉がずっと頭を駆け巡っていた。
創立100周年のプレイベントということで、食堂のメニューを無料でいただけたり、体育館で開催される記念イベントを観ることができるということだった。
同級生のみんなと駅前で待ち合わせをし、ぶらぶらとゆるやかな坂道を歩く。
あの頃とは風景が全く変わってしまっている。
「坂下の店はこの辺やったっけ?」
「いや、違うで〜!あっちやで〜!」
楽しく会話しながら上り坂を登り切った。
まずは受付で名札と食券をもらう。
その後、昔応援団の練習をした(?)食堂の屋根の上を見学。
食事の前の総会は参加しなくてもいいと言われていたが、真面目なY子と私は参加することにした。
私たちを招待してくれたH副会長は前の役員席にど〜んと座っている。
司会を務めている女性・・・
どこかで見たことがあるなぁと思っていたら、同級生のあんP君のお姉さんだった。
総会が滞りなく終わると、お食事タイムになった。
私は話題のマウチャメ丼!
(めちゃうまの反対からつけられた名前らしい)
から揚げがごはんの上にたっぷりのっかっていてこれで350円は安い!
食事が済むと体育館に移動。
体育館は巨大な冷風扇が稼働していたが、少し蒸し暑かった。
最初は卒業生で世界を股にかけて走るアドベンチャーランナー北田さんの講演・・・
スクリーンに映し出される辛くて苦しい場面を観ながら、大阪マラソンの辛かった道中を思い出してしまった。
お次はダンス部の元気いっぱいのパフォーマンス・・・
さすが数ある賞を手にしているだけのことはある。
みんなの笑顔がはじけている。
大阪では常に金賞を取り続けているという吹奏楽部のメチャウマな演奏!
海が通学していた頃から指導してくださっている指揮者の先生がいいんやろうなぁ・・
吹奏楽定番の曲、宝島はノリノリでかっこよかった♪
美術部のメンバーが鉛筆と木炭だけで何か月もかけて描いた校舎の絵・・・
うますぎる!!
楽しい時間はあっという間に過ぎていった。
帰りは行きとは違う車の通る道を歩き、ちょっぴりしかない商店街を抜けて駅まで戻ってきた。
食堂のおじちゃんは私たちの頃からいるおじちゃんなのか?
それともおんなじ顔の息子さんなのか?
なんてことを考えながら、
「みんな、卒業しても遠慮せんと、いつでも食堂のごはんを食べにきてくれてええんやで〜」
と言ってくれたおじちゃんの優しい言葉がずっと頭を駆け巡っていた。
rumichan2525 at 01:45|Permalink│Comments(0)
2018年09月01日
ヒプノセラピー
夏休みももう終わりになろうという時に、珍しく何も予定が入っていない日があった。
疲れがたまった心を癒すために、「ヒプノセラビー」を受けてみることにした。
ヒプノセラビーには色々な種類があるんやけど、私が受けたのは「前世療法」
それは前世の記憶を呼び覚まし、前世の自分からのメッセージを受け取るというもの。
スピリチュアルな雰囲気でにわかには信じがたい。
約束の日・・・車で1時間ほどかけてオープンハートというお店へ。
まずは軽くカウンセリングと説明を受けていよいよベッドに横たわり施術を受ける。
色々な場面がはっきりと目の前に浮かぶのかと思っていたが、ぼんやりしたイメージがポツリポツリ浮かんでくるという感じだった。
これは人によってさまざまで、映画のストーリーのように見える人もいるらしい。
最初に浮かんだのは石の上に立つ30過ぎぐらいの男の人。
髪を耳の横で束ねて白いボロボロの布をまとっている。
名前は「イヌ・・・・」
なんじゃそりゃ!
石の建物の間から星空が見えている。
家は木でできていてガラガラと扉を開けると囲炉裏のような場所が見える。
赤い着物を着た妻、年老いた両親と暮らしている。
父は今の兄。
母はしょうこ。
妻はしゅんしゅん・・・
今身近にいる人が前世でも近くにいることが多いらしい。
戦に敗れて家を追われ、船に乗って新なる大地へ向かう。
やがて母が亡くなり、娘(海)が生まれ、息子(誰?)が生まれ。
父が亡くなる・・・
再び戦が始まりイヌは死んでしまう。
その時私は空に昇っていった。
自分の足元がどんどん遠くなっていくのを感じた。
自分の人生に悔いはないが残した家族が心配・・・
イヌは死ぬ時そう思っていた。
過去の私が現在の私に
「家族を大切にするように」
というメッセージを与えてくれた。
自分の頭の中にポツリポツリと浮かんでくるイメージをつかみ取る感じなので、これが本当に前世の記憶なのかどうかわからない。
でも間違ってても誰にも迷惑をかける訳でもない。
・・・という不思議体験でした。
疲れがたまった心を癒すために、「ヒプノセラビー」を受けてみることにした。
ヒプノセラビーには色々な種類があるんやけど、私が受けたのは「前世療法」
それは前世の記憶を呼び覚まし、前世の自分からのメッセージを受け取るというもの。
スピリチュアルな雰囲気でにわかには信じがたい。
約束の日・・・車で1時間ほどかけてオープンハートというお店へ。
まずは軽くカウンセリングと説明を受けていよいよベッドに横たわり施術を受ける。
色々な場面がはっきりと目の前に浮かぶのかと思っていたが、ぼんやりしたイメージがポツリポツリ浮かんでくるという感じだった。
これは人によってさまざまで、映画のストーリーのように見える人もいるらしい。
最初に浮かんだのは石の上に立つ30過ぎぐらいの男の人。
髪を耳の横で束ねて白いボロボロの布をまとっている。
名前は「イヌ・・・・」
なんじゃそりゃ!
石の建物の間から星空が見えている。
家は木でできていてガラガラと扉を開けると囲炉裏のような場所が見える。
赤い着物を着た妻、年老いた両親と暮らしている。
父は今の兄。
母はしょうこ。
妻はしゅんしゅん・・・
今身近にいる人が前世でも近くにいることが多いらしい。
戦に敗れて家を追われ、船に乗って新なる大地へ向かう。
やがて母が亡くなり、娘(海)が生まれ、息子(誰?)が生まれ。
父が亡くなる・・・
再び戦が始まりイヌは死んでしまう。
その時私は空に昇っていった。
自分の足元がどんどん遠くなっていくのを感じた。
自分の人生に悔いはないが残した家族が心配・・・
イヌは死ぬ時そう思っていた。
過去の私が現在の私に
「家族を大切にするように」
というメッセージを与えてくれた。
自分の頭の中にポツリポツリと浮かんでくるイメージをつかみ取る感じなので、これが本当に前世の記憶なのかどうかわからない。
でも間違ってても誰にも迷惑をかける訳でもない。
・・・という不思議体験でした。
rumichan2525 at 10:06|Permalink│Comments(0)
2009年10月18日
2008年09月06日
怖い話
私は子どもの頃から、怖い現象を体験することが多かった。
金縛りになったこともあるし、その時に声が聞こえたこともあった。
それは短大時代、なんと一緒に百貨店の配送センターで中元・歳暮の繁忙期に短期アルバイトをしていた頃の話…
家のこたつでうたた寝していた私は、夢を見た。
私は原付に乗って道路の左端を走っている。
少し前に大型トラックの荷台が見えた。
大型トラックの荷台が目の前に迫り
私はぶつかった…
その瞬間、バイト先のA子さんの悲しそうな顔が浮かんできた。
顔の半分にあざができている。
いやな汗で目が覚めた。
次の日、バイト先に行くと、A子さんが原付で事故に遭ったという。
事故後、しばらくしてバイト先で会ったA子さんの顔にはあの夢で見たのと同じあざが…
こっわ〜!
単なる偶然やったんかなぁ…
金縛りになったこともあるし、その時に声が聞こえたこともあった。
それは短大時代、なんと一緒に百貨店の配送センターで中元・歳暮の繁忙期に短期アルバイトをしていた頃の話…
家のこたつでうたた寝していた私は、夢を見た。
私は原付に乗って道路の左端を走っている。
少し前に大型トラックの荷台が見えた。
大型トラックの荷台が目の前に迫り
私はぶつかった…
その瞬間、バイト先のA子さんの悲しそうな顔が浮かんできた。
顔の半分にあざができている。
いやな汗で目が覚めた。
次の日、バイト先に行くと、A子さんが原付で事故に遭ったという。
事故後、しばらくしてバイト先で会ったA子さんの顔にはあの夢で見たのと同じあざが…
こっわ〜!
単なる偶然やったんかなぁ…
2008年09月03日
京都のたこ焼やさん
先週、昔勤めていた会社の男子から電話がかかってきた。
「すっごいニュースがあるねん!」
声、1オクターブ上になってるし…
「うちの店、関西ウオーカーに載るんやけど…」
昔その男子と一緒に働いていたのは、日本語を英語に翻訳するソフトを販売する会社。
私はインストラクター兼営業事務。
その男子は私より後に採用された営業。
本社は東京で大阪営業所は若い男性所長と私達2人の3人だけだった。
彼は結構自信過剰なところがあって、「いつかは俺がやってやる!」というハングリーなタイプ(ある意味ちょっと嫌な奴!?)やったと思う。
営業でも色々なアイディアを出してがんばっていた。
仕事のついで(?)に取引先のインストラクターにアタックし、ラブラブになった。
ほどなく給料が遅れ出し、ボーナスも支給されなくなった。
ボーナスの代わりに社長がポケットマネーで1万円ずつ社員に配ったこともあったっけ。
そのうち大阪営業所はなくなり、会社も無くなった。
その男子もあちこちの会社を転々としていたが、しまいに縁蛸というたこ焼屋を始めた。
(たこ焼屋さんなんてうまくいくんやろか…?)
しかし、そこは自信満々な彼のことだけあって、ネットやメディアをうまく使った戦略でお客さんを増やしていった。
1〜2年に1度、雑誌や新聞やテレビに取り上げられると言っては電話をかけてくる。
今回、関西ウオーカーの「決定!!粉もんキング2008」という特集で、堂々の1位になったらしい。
しかもたこ焼の本場大阪ではなくて京都のたこ焼やさんが1位になったという事に意味があると熱弁をふるっていた。
1位なので紙面の2/3ぐらいを縁蛸についての記事が独占する。
今日しょうこに頼まれたD.Gray-manのコミック単行本を買いに行ったついでに立ち読み(ごめん)してきた。
昔と変わらない元気そうな店主の顔と、店主より大きく写ったラブラブの彼女の顔…
懐かしかった…
もちろん、私は食べたことないけど、いつか機会があったら食べに行くからね〜
それにしても、京都までたこ焼食べに行く機会ってあるんやろか…???
なん!一緒にどう?
(ムリムリ…)
「すっごいニュースがあるねん!」
声、1オクターブ上になってるし…
「うちの店、関西ウオーカーに載るんやけど…」
昔その男子と一緒に働いていたのは、日本語を英語に翻訳するソフトを販売する会社。
私はインストラクター兼営業事務。
その男子は私より後に採用された営業。
本社は東京で大阪営業所は若い男性所長と私達2人の3人だけだった。
彼は結構自信過剰なところがあって、「いつかは俺がやってやる!」というハングリーなタイプ(ある意味ちょっと嫌な奴!?)やったと思う。
営業でも色々なアイディアを出してがんばっていた。
仕事のついで(?)に取引先のインストラクターにアタックし、ラブラブになった。
ほどなく給料が遅れ出し、ボーナスも支給されなくなった。
ボーナスの代わりに社長がポケットマネーで1万円ずつ社員に配ったこともあったっけ。
そのうち大阪営業所はなくなり、会社も無くなった。
その男子もあちこちの会社を転々としていたが、しまいに縁蛸というたこ焼屋を始めた。
(たこ焼屋さんなんてうまくいくんやろか…?)
しかし、そこは自信満々な彼のことだけあって、ネットやメディアをうまく使った戦略でお客さんを増やしていった。
1〜2年に1度、雑誌や新聞やテレビに取り上げられると言っては電話をかけてくる。
今回、関西ウオーカーの「決定!!粉もんキング2008」という特集で、堂々の1位になったらしい。
しかもたこ焼の本場大阪ではなくて京都のたこ焼やさんが1位になったという事に意味があると熱弁をふるっていた。
1位なので紙面の2/3ぐらいを縁蛸についての記事が独占する。
今日しょうこに頼まれたD.Gray-manのコミック単行本を買いに行ったついでに立ち読み(ごめん)してきた。
昔と変わらない元気そうな店主の顔と、店主より大きく写ったラブラブの彼女の顔…
懐かしかった…
もちろん、私は食べたことないけど、いつか機会があったら食べに行くからね〜
それにしても、京都までたこ焼食べに行く機会ってあるんやろか…???
なん!一緒にどう?
(ムリムリ…)
2008年08月20日
浮かぶか!?カナヅチ!
今日はこの夏2度目の泉が丘プールに行ってきた。
お相手はマンション内のしょうこの友達4年生とそのママさん。
今日は退屈せずに1日過ごせそう…
【しゅんしゅんごきげん】
今日も10時に駐車場に到着し、毛虫の落ちてこない場所をゲット。
前回よりかなり涼しい。
しばらくは子どもたち3人で泳いでいたが、私たちも泳ぐことにした。
といっても私はカナヅチ…
なんでカナヅチなんやろ…
小学生の頃、ダイエーの中にあったスイミングスクールで回数券を購入。
確か10枚綴りぐらいで、夏休み中に消化すればいいというような感じやったと思う。
2回ほど行った頃、膝に化膿性の「できもの」ができて行けなくなってしまった。
その後はスイミングスクールに行く機会もなく、泳げないままになってしまった。
高校に入ると、25m泳げない子は補習に出ることになった。
(確か2日間やったと思う)
自己申告制なので1日目は人数が多かった。
その中でも本当に泳げない一握りの子だけが2日目も通うことに…(もちろん私も)
とりあえず平泳ぎの息継ぎを教えてもらい、足はともかく、当時テニスで鍛えていた腕の力だけで25mなんとか泳げるようにしてもらった。
そして体育の時間、25mのテスト…
平泳ぎで20mを過ぎた頃、おぼれてもがいている私をプールサイドで応援してくれた体育の福○先生…
「がんばれ!がんばれ!」っていう大きい声を今でも覚えている。
あなたのおかげでなんとか最後まで泳ぎきることができました。m(__)m(感謝)
しかし2年になって病気になってしまい、それ以降体育とはおさらばした私は、せっかく教えてもらって平泳ぎをすっかり忘れてしまった。
よほど泳ぎとは縁がなかったんやなぁ…
そんなカナヅチの私が、今日はしょうこに促されてプールに入ってみた。
皆で「だるま浮き」〜
誰が最後までがまんできるかやってみた。
私はだるま浮きさえもできず、死体のように大の字になって浮かんでしまった。
でも今日は昔の私より浮かんでいた気がする。
(今までは沈むのが得意やった)
もしかして脂肪増えたから浮きやすくなったんかな!?
しょうこに教えてもらって、ちょっとだけ平泳ぎの練習もやってみた。
これは、がんばればいけるかも…
来年はもうちょっとまじめにプールに入ろうかなぁ…
子どもたちがプールで逆立ちをしている姿を見ながら、ひそかに決心する腹痛でした。
(来年になったら忘れてるかもね〜!!)
お相手はマンション内のしょうこの友達4年生とそのママさん。
今日は退屈せずに1日過ごせそう…
【しゅんしゅんごきげん】
今日も10時に駐車場に到着し、毛虫の落ちてこない場所をゲット。
前回よりかなり涼しい。
しばらくは子どもたち3人で泳いでいたが、私たちも泳ぐことにした。
といっても私はカナヅチ…
なんでカナヅチなんやろ…
小学生の頃、ダイエーの中にあったスイミングスクールで回数券を購入。
確か10枚綴りぐらいで、夏休み中に消化すればいいというような感じやったと思う。
2回ほど行った頃、膝に化膿性の「できもの」ができて行けなくなってしまった。
その後はスイミングスクールに行く機会もなく、泳げないままになってしまった。
高校に入ると、25m泳げない子は補習に出ることになった。
(確か2日間やったと思う)
自己申告制なので1日目は人数が多かった。
その中でも本当に泳げない一握りの子だけが2日目も通うことに…(もちろん私も)
とりあえず平泳ぎの息継ぎを教えてもらい、足はともかく、当時テニスで鍛えていた腕の力だけで25mなんとか泳げるようにしてもらった。
そして体育の時間、25mのテスト…
平泳ぎで20mを過ぎた頃、おぼれてもがいている私をプールサイドで応援してくれた体育の福○先生…
「がんばれ!がんばれ!」っていう大きい声を今でも覚えている。
あなたのおかげでなんとか最後まで泳ぎきることができました。m(__)m(感謝)
しかし2年になって病気になってしまい、それ以降体育とはおさらばした私は、せっかく教えてもらって平泳ぎをすっかり忘れてしまった。
よほど泳ぎとは縁がなかったんやなぁ…
そんなカナヅチの私が、今日はしょうこに促されてプールに入ってみた。
皆で「だるま浮き」〜
誰が最後までがまんできるかやってみた。
私はだるま浮きさえもできず、死体のように大の字になって浮かんでしまった。
でも今日は昔の私より浮かんでいた気がする。
(今までは沈むのが得意やった)
もしかして脂肪増えたから浮きやすくなったんかな!?
しょうこに教えてもらって、ちょっとだけ平泳ぎの練習もやってみた。
これは、がんばればいけるかも…
来年はもうちょっとまじめにプールに入ろうかなぁ…
子どもたちがプールで逆立ちをしている姿を見ながら、ひそかに決心する腹痛でした。
(来年になったら忘れてるかもね〜!!)
2008年05月17日
友達はガッツスキーヤー!
23歳の頃、某生保でセールスレディをやっていたことがある。
周りはおばちゃんが多かった。
私より少し後に1歳年下のロングヘアが素敵な女の子が入ってきた。
〇きちゃんと私はすぐに仲良しになり、一緒にスキーに行くようになった。
お昼はランチに行かず買ってきたおにぎり2つだけを事務所で食べて節約し、週末になると夜行バスでスキーに出かけた。
3月の連休には志賀高原へ。
当時、志賀高原には72基のリフトがあり、その全てを制覇すると、記念品がもらえるというイベントがあった。
3日間で制覇する為に綿密な計画を練った。
しょぼいシングルリフトにも絶対に乗る必要があるし、一緒に回る子の中にはそんなにスキーが上手くない子もいる。
コース取りはとても重用だ。
滑るスキーというより歩くスキー…
小川を渡って移動しなければいけないサバイバルな場所まであった。
ほんまに今から考えたら、よ〜やったわ〜!
確か、2回ほどこのイベントを制覇したで〜。
賞品は盾とピンバッチとオコジョがデザインされたTシャツ…
【チャレンジマスターの盾】
いつか、またスキーに行きたいなぁ…
周りはおばちゃんが多かった。
私より少し後に1歳年下のロングヘアが素敵な女の子が入ってきた。
〇きちゃんと私はすぐに仲良しになり、一緒にスキーに行くようになった。
お昼はランチに行かず買ってきたおにぎり2つだけを事務所で食べて節約し、週末になると夜行バスでスキーに出かけた。
3月の連休には志賀高原へ。
当時、志賀高原には72基のリフトがあり、その全てを制覇すると、記念品がもらえるというイベントがあった。
3日間で制覇する為に綿密な計画を練った。
しょぼいシングルリフトにも絶対に乗る必要があるし、一緒に回る子の中にはそんなにスキーが上手くない子もいる。
コース取りはとても重用だ。
滑るスキーというより歩くスキー…
小川を渡って移動しなければいけないサバイバルな場所まであった。
ほんまに今から考えたら、よ〜やったわ〜!
確か、2回ほどこのイベントを制覇したで〜。
賞品は盾とピンバッチとオコジョがデザインされたTシャツ…
【チャレンジマスターの盾】
いつか、またスキーに行きたいなぁ…
2008年04月30日
短縮列車
はねるのトびらに短縮列車というコーナーがある。
コンビニ→コンビニエンスストア
メルアド→メールアドレス
DVD→デジタル ヴァーサタイル ディスク
このように、短縮された言葉の元の言葉を答えるというコーナー。
そういえば、私達が高校生の頃もそういう言葉をいっぱい使ってたよね。
マクド→マクドナルド
ミスド→ミスタードーナッツ
ロイホ→ロイヤルホスト
そして、我ら硬庭の仲間が下店で部活後のひと時を過ごしていた時に多用していた短縮言葉がありました。
ポテチ→ポテトチップス
コンパ→コンソメパンチ
おにせ→おにぎりせんべい
それではここで問題です。
まんぽは何の略でしょうか!?
なん、覚えてるかなぁ〜??
そういえば、さえは「いんべ」やったよなぁ....
あ、これは短縮形とちゃうかったか!?
コンビニ→コンビニエンスストア
メルアド→メールアドレス
DVD→デジタル ヴァーサタイル ディスク
このように、短縮された言葉の元の言葉を答えるというコーナー。
そういえば、私達が高校生の頃もそういう言葉をいっぱい使ってたよね。
マクド→マクドナルド
ミスド→ミスタードーナッツ
ロイホ→ロイヤルホスト
そして、我ら硬庭の仲間が下店で部活後のひと時を過ごしていた時に多用していた短縮言葉がありました。
ポテチ→ポテトチップス
コンパ→コンソメパンチ
おにせ→おにぎりせんべい
それではここで問題です。
まんぽは何の略でしょうか!?
なん、覚えてるかなぁ〜??
そういえば、さえは「いんべ」やったよなぁ....
あ、これは短縮形とちゃうかったか!?